“いつでも来たいときに来てよ。”
なんという簡単な一言。
あまりにシンプル過ぎて、自分が採用されることになったなんて、ピンとも来なかった。
思わず、“どこに行けば良いんですか?”と、間抜けな質問を返してしまった。
この探偵おやじは、一瞬むっとしたように、人に軽蔑したような目線を投げてきた。
今思えば、探偵になりたいという夢があるなら、普通喜ぶだろう的な感じだったのかもしれないのだが・・・。
瞬時に採用を察知したぼくは、やばいと感じ、
“できるなら、明日からでも!!!”と、気合の入った答えを、遅れながらも返した。
そこで、探偵おやじ、“あ、そ。じゃあ、明日10時にまたここにきて。”
と、特に感動もなにもなく返されてしまった。
あっけないものだった。
しかし、その翌日からぼくの地獄が始まってしまった・・・。
探偵事務所に採用された!
そんな興奮から、自分がすごく出来る人間になった気分でいた。
しかも、あの気難しそうな代表に、面接で認められた気持ちにさえなってしまっていたのだ。
これが大きな間違い。
出勤初日。
ぼくは、探偵のノウハウをさっそく教えてもらえるものだと期待して事務所に向かった。
職業は探偵です、なんて飲み会で答えたら、もしかしたら女の子にモテたりして、なんて、心の中でにやつきながら・・・。
かなり大きくなった期待を胸に、ぼくは事務所の自動ドアを進む。
そこにいたのは、昨日とは全く違った雰囲気の代表がいた。
なんでも、昨夜、相談の電話が入り、昼から面談に行くのだとか。
このおじさん、スーツをピシっと着こなし、昨日より確実に10歳は若返ったように見える。しかも、頼りになる探偵って雰囲気を醸し出してるし。
人間って、格好を整えるだけで、これほどまでに変われるものなんだ、って実証できるいい見本だ。
ってか、ぼくなら、私服でもスーツでも、ここまで変わるなんてことはないのだろう。
持っているオーラの違い?
探偵してたら、ぼくもいつかはこんな感じになるのだろうか、とさらに膨らむ期待感。
で、いったいぼくは今日なにをするのだろう?と、現実に引き戻されたころ、探偵おやじが持ってきたのは大きな地図。
それを、事務所奥の壁に貼り付けてしまったのだ。
その地図は、なにをもとに区切ったのかわからないけれど、おなじくらいの面積に均等に区切られた、この周辺の地図だった。
頭の中にはクエッションマークが並んでいる。
これ、ぼくの仕事のために作られた地図だったのだ。
そう、ぼくの仕事は、この探偵事務所のチラシを配ることだったのだった。 |